当時高校2年生、16歳。
3月に誕生日を迎える月の11日にそれは起こった。
東北を襲った災害はあまりにも非現実的で、ドラマの登場人物か何かになったのだろうかと思った。
しかし、そんなおちゃらけたことも一瞬で消えた。
普段の電気があって、家の中は常に明るくて、喉が渇いたら水を飲む。
ポットのお湯が無くなったら水を足す。
トイレやお風呂にも水も電気も必要。
正直、当たり前なのだ。当たり前で、日常的で、それが普通だった。
それが自然災害によって新しい普通に塗り替えられた。
私が住む地域は県北かつ内陸で津波の被害もなく、幸いにも近くの山からの土砂崩れもなかった。
そう、幸いだったのだ。
「停電と断水だけで済んだ」「生きていて良かった」
昔も今もそれが私の中の震災の記憶。
家の中にある灯りはロウソク。暖をとるのは村から支給されたお水をなんとか使えるガスコンロで温めたお湯をペットボトルに入れた簡易的な湯たんぽ。
3月とはいえ、まだ寒い時期の東北。
余震の怖さに時折、高校生の私はお母さんと一緒に寝たこともあった。
多分、離れた瞬間にお母さんと会えなくなってしまうのでは、と思っていたのだろう。
そんな日を数週間くらい過ごしたと思う。一ヶ月あったのか、数週間だったのか正直、覚えてない。
でも、夕方におじいちゃんが「水が出るぞ!」と言ったあと家の電気がついた。
そしてしばらくして近所の家に灯りがつき始める。
ようやく日常に戻り始めた。でもこれも氷山の一角で食料不足は一ヶ月は続いたんじゃないだろうか。
完全に日常に戻ったのはもっと後だったかもしれない。日付の感覚があやふやでわからないのは申し訳ない。
それから1年、2年…高校卒業、専門学校入学、就職…9年経って私は今月、誕生日を迎える。
当時は震災のこともあって誕生日どころではなかった。
けれど今は誕生日を祝ってくれる人がいる。
些細なことでも嬉しい、と思えるのっていいなぁと。
もう9年、まだ9年。
時が経つのは早いけど、これから先ずっと忘れないんだろう。
今の日常が恵まれていることに感謝しながら生きていきたい。
2020/03/11 壱村